「お金」が大切なら、まず「モノ」を大切にしよう

最近、忘れ物をしても取りに戻らない人が、増えているらしいです。
戻ること自体が大変な場合は、取りにいかなくてもいいと思います。
ただ、「モノ」を大切にすることは、「お金」を大切にすることでもあるのです。
目次
「お金」に換算して考えてしまう
ハンカチや傘などは、忘れ物として多いものですが、比較的お値段がお安い品物ではあります。ちゃんとした傘は別ですが、安く手に入れられる傘もありますので、そちらを対象にした場合です。
比較的安いものを、電車や車などを使った遠方での出先に忘れたら、取りに行くほうがお金がかかるし、わざわざそのために時間や手間もかかってしまいます。
身近で「代わりのモノ」が、「すぐに」手に入るのであれば、そちらのほうがお金的にも労苦的にも良いと思います。
「代わりのモノ」が「すぐに」手に入る状態
「代わりのモノ」というのは、その人にとって、忘れたモノと同じくらいの価値のものです。
「すぐに」というのは、身近であったり、お金的にも躊躇なく支払える、ということではないでしょうか。
「代わりのモノをすぐに手にいれられる」ほうが「取りに戻るよりお得」という判断に至れば、わざわざ取りには戻らないでしょう。
逆に「代わり」が「すぐに」手に入らないモノだったら、いくらお金や手間がかかっても取りに戻りたいと思うはずです。
「お金」と「思い入れ」が「モノ」を大切にさせる
「代わり」が「すぐに」手に入らないモノとは、何らかのその人の「思い入れ」があるものではないでしょうか。
限定、プレミアものだったり、高価で厳選して買ったモノだったり、長年愛用してきたものだったり…。
その「思い入れ」も、「モノ」そのものに対してだったり、「モノ」にまつわる「お金」に対してだったりします。
「モノ」と「お金」が合わさると、人は本当にその「モノ」を大切にするのかもしれませんね。
「お金」ってどこまでも、ついて回るものなのですね。
「モノ」を大切にしないことは「お金」を大切にしないこと
安いからといって、使い捨てのようにモノを大切にしないことは、結局はお金を大切にしないことにつながります。
たとえ少額でも、頻繁にひょいひょいと買い続けていたら、けっこうな額になります。
安かろうが高かろうが、今そこにある「モノ」を大切に使いつづけることで、それに代わるモノを買う必要はなくなります。
「モノ」を大切にすることは、すなわち無駄金を使わないことになります。
「安いから」買うことも長い目で見ると無駄金になる
100円ショップなどで「これかわいい」「これ便利そう」など、「ちょっといいな」と思い「安いから」という理由もあり、買ってしまうことがあります。
おそらく似たような商品でも、値段がもっと高ければ、買うのをためらうと思います。
「安いから」という理由は、購入に至る重要なポイントのひとつです。
私も経験がありますが、100円ショップなどに行くと、「あれもこれも、こんなに安いの! 」と嬉しくなって、つい購入してしまいます。
かわいらしい置物とか、おそらく本当に必要なものではないのでしょうが、「安いから」つい買ってしまうのです。
「欲しいものが安く手に入る」「買ってみなければ商品の良さが分からないから“安いし”とりあえず買ってみる」と言う経験も、とても大切で必要なものだと思います。
その経験の先に「安いから」買うことは、本当に必要なもの、欲しいものを買うことではない、という気づきがあるのではないでしょうか。
本当に本当に欲しい! 本当に本当に必要! と感じないのに「安いし…」という理由で買ったものは、「大事」感「満足」感が低いものが多いのではないか、と思います。
結局、「思い入れ」が低いので「モノ」を大切にできず、安いとはいっても払ったお金は無駄金、というか、死に金になってしまいます。
値段が「高いもの」は大切にしやすい
逆に、値段が「高いもの」を買うと、人はその「モノ」を大切にできるような気がします。
その人にとって「ちょっと高いな」と感じるモノは、買う時に自分にとって必要か不必要か、本当に欲しいのか、よく考えるからです。
よく考えることで「必要」「欲しい」と感じる度合が違ってきます。
お金の高い安いによって、買う人の「思い入れ」が違ってくるのです。
心の値段
悩んでいたころ、カウンセリングなどを調べましたが、料金は1時間6千円から1万円など高額なので、驚きました。
一般的な収入額や時給、生活費、主婦という「自分で稼いでない」立場であることなどを考えると、なかなか踏み込む勇気が出ませんでした。
その人の「覚悟」の値段
カウンセリングしてもらった友人も値段は高いと言っていましたが、「たとえば1回五千円のカウンセリングと、1回10万円のカウンセリングでは、五千円のほうがクレーム率が、10万円のほうがリピート率が高い」と話していました。
つまり、そのカウンセリング料金は「クライアントがどれだけ自分の悩みを解決したいか」という「覚悟」のほどを表した料金なのです。
「これだけ払ったんだから元をとらなきゃ」とクライアント自身の意識も違ってくるのです。
というか、悩み解決のためには、本来はそのクライアント自身の「意識」が必要なわけです。
料金が安いと、クライアント自身も「こんなものかな」と思ったり、「お金払ってるんだから」と、悩み解決の責任をカウンセラーに転嫁したりしてしまうのです。
自分の人生をちゃんと生きるということ
「悩み」は「その人自身」の悩みであり、本当は「その人自身」にしか解決できないものです。
カウンセリングなどは、本人が悩みを解決できるように手助けするだけなのです。
その人の問題を、ほかの人が解決してあげることはできません。
その人がほかの人に悩みを解決してもらおうとするならば、それは自分の人生を、ほかの人に委ねてしまうことです。
誰だって、誰かの人生を、代わりに生きてあげることはできません。
カウンセリングなどの料金は、自分の人生に向き合う覚悟のほどが試されていると言えます。
その点で、普段の買い物などとは「お金」の意味が違ってくるケースなのです。
「お金を払う」その先にあるもの
日常においても、カウンセリングなどにおいても、「お金」を払うということの、その先にあるものを見極めることが大切だと思います。
なんの気もなしに「お金」をやり取りしたり、今そこにある「モノ」を大切にしないことなど、の先には、自分にとって何があるか、どういう意味があるか、ということではないでしょうか。
かと言って、大事に大事にお金を使わずに取っておくことも、お金を大切にすることではありません。
それも、ある意味「死に金」と言えます。
「生きた」お金の使い方をしていきたいものですね。